こんな時代だからこそ、誠実なものづくりは使い手を輝かせる。(インターナショナルシューズ 上田 誠一郎さん)
MITSUBOSHI 1887を愛用してくださっている「使い手」の声と出会うMeets VOICE(ミツボイス)。
今回は1954年創業の名門レディースシューズメーカー「インターナショナルシューズ」専務取締役で、スニーカーブランドbrightwayを立ち上げた上田 誠一郎さんに代官山ショールームスタッフの山田 桜子(桜)がお話を伺いました。
子どもの頃は「三代目」という職業があると思っていました
(桜)
本日はよろしくお願いいたします!上田さんは大阪市・浪速区のシューズメーカー「インターナショナルシューズ」のアトツギだと伺っております。インターナショナルシューズはどんな会社なんでしょうか?
(上田)
はい、インターナショナルシューズは私の祖父が立ち上げた婦人靴メーカーで、国内外の高級婦人靴ブランドの靴を大変長い間作らせていただいています。最近だと、ファクトリエとも一緒にものづくりをさせていただいてます。
(桜)
高品質なアイテムを取り扱っているというイメージがあります!やはり、子どもの頃から跡を継ごうと考えてらっしゃったんですか?
(上田)
実は、子どもの頃は家が商売やっているというは知っていたんですが、具体的にどんな靴を作っているのかは知らなかったんです。ただ、私はおじいっちゃんっ子でよく祖父から「お前は三代目だ」と言われていたので…「三代目」という職業があると思っていました(笑)
具体的なことまでは知らなかったですが、身近なところにファッション雑誌やおしゃれな靴があったので、10代の頃からファッションには興味がありました。「雑誌に載っているセレクトショップに行っておしゃれを楽しみたい!」というのが東京の大学に進学した理由の一つです(笑)
(桜)
素直な進学理由で良いですね。その頃はどんな学生だったんですか?
(上田)
大学時代は水泳に明け暮れていました。ただ、「将来、自分は何をやりたいんだろう?」と悩む中で、大好きなファッション業界で働きたいという想いが強くなってきました。大学2年生の時のイタリア旅行で、その土地の風土や文化に根ざしたアートやファッションにとても衝撃を受けたのも影響があったと思います。
ただ、ファッション業界といってもアパレルから雑貨など分野も幅広いですし、メーカーや商社、小売りなど様々な企業があるので選びきれない気持ちがありました。そんな時、水泳部の監督から「浮気はするな」とアドバイスされ、最初に内定をもらったところに就職しようと決めたんです。そして一番最初に内定をいただいたのが株式会社かねまつ(銀座かねまつ)でした。
(桜 )
それは体育会系らしいというか、潔いですね(笑)
偶然が必然となった銀座かねまつでの修行時代
(上田)
今はかねまつ様の靴づくりにも関わらせていただいてます。傍から見ると、婦人靴工場の息子が修行先として婦人靴ブランドに就職したように見えるかもしれないのですが、偶然だったんです。
後から聞いたことなのですが、かねまつ様では取引先や業界関係の子息はいれないという不文律があったそうです。当時はそんなことは知らず、最終面接で私がインターナショナルシューズのアトツギだと分かり、私を入社させるかどうか、かねまつ社内では議論が起こったそうです。最後は、社長の「最終面接まで来たということは優秀なんだろうし、かねまつにとってだけじゃなく、靴業界にとっても良い人材になるだろう」というご判断で内定をいただけたそうです。
(桜)
懐の深い判断ですね。その後、家業に戻ろうと決心されたのはなぜですか?
(上田)
家業に戻った理由は2つあります。
1つは店舗で働く中で、ものづくりへの想いがめきめきと湧いてきたこと。店舗ではフィッティングやサービス、フォローなどのソフト面の対応はできますが、靴自体の開発はできないんですよね。せっかくデザインは気に入ってくれているのに、微妙に足にフィットしないというケースを何度も経験していく中で、自分でものづくりをしたいという想いが抑えられなくなりました。
もう1つの理由は、改めて自分の将来を考えた時に生前の祖父に言われた言葉が忘れられず、家業を継ぎたいと思うようになったことです。
2年間で2店舗の副店長を任して頂いて、店舗の立て直しなどを一通り経験でき、自信がついたことも大きかったと思います。
素晴らしい上司とお客様に恵まれ、多くのことを教えていただいたかねまつ様には本当に感謝しています。
(桜)
一度、外を経験したからこそ、家業への想いが高まったということですね。偶然が必然となったというか…興味深いです。ちなみに、お父様からは後を継いで欲しいと言われていたのですか?
(上田)
実は一回「後を継ぎたいと思っている」と話したんですが、断られたんです。お前の生半可な気持ちじゃだめだ、と。
今思えば、私の覚悟が試されていたのだと思います。父親としては、戻ってきて欲しい気持ちもありつつ、厳しい業界なので戻らせて良いのか?という複雑な気持ちから出た言葉だったと思います。
その後、私が戻ったことが影響したのか、入社3ヶ月後に父が体調を崩して経営を引き継ぎました。わからないなりに必死に品質改善や在庫改善をして、今もまだまだ大変な面もありますが周りに支えられながら頑張っています。
自分を「一人目の顧客」としてイメージしたのがbrightway
(桜)
どんなきっかけで、スニーカーブランドbrightwayを立ち上げられたのですか?
(上田)
自分が欲しいと思う上質なスニーカーがなかなか見つけられなかったのがきっかけです。スーツやセットアップに合わせられる上品なデザインで、履き心地がよいスニーカーがほしかったのですが、デザインが良くても履き心地が悪かったり、いいものは高くて手が届かなかったりと、なかなか見つかりませんでした。
そこで自分たちで作ってしまおう、と。自分を「一人目の顧客」とイメージして、何度も何度も試作を繰り返しました。20回以上はサンプルを作ったかな。
(桜)
すごい回数ですね!そんなこだわりの詰まったbrightwayですが、一般的なスニーカーと作り方は違うのですか?
(上田)
特長はたくさんありますが、うちはもともと婦人靴メーカーなので、レディースドレスシューズで培った技術を活かしているのもユニークなところです。例えば、吊りこみと言って木型に革をひっぱって、アッパー部分を底にはりつける工程があります。目に見えないところですので量産のスニーカーはアッパーをソールに貼るだけですが、吊りこみ工程によってより美しい仕上がりになり、強度が上がるのでbrightwayは長く愛用してもらえると思います。
(桜)
目に見えないこだわり、素晴らしいですね。元々婦人靴をつくるメーカーだったとのことですが、メンズのスニーカーをつくることに対して職人さんたちはどのような反応でしたか?
(上田)
最初は「え?!」という戸惑いもあったようです。
でも、弊社の靴職人(注:力仕事が多く、ほぼ男性だそうです)にとっても、自分たちが顧客として使えるものを作るというのは新鮮な体験でもあるのか、やっていく内に職人たちからも提案が出てくるようになりました。私と彼らの目線が同じになった瞬間です。
そんな風にして、インターナショナルシューズの総力を結集して創り上げたのが、このbrightwayなんです。
メリノTシャツはマインド的にも良い状態でいられる
(桜)
一つのスニーカーの裏側にこんなストーリーがあるんですね…感動しました。本当はメリノTシャツの着心地について聞かなければならないのに、ついつい上田さんの半生について深く聞き入ってしまいました(汗)
さて、上田さんはMITSUBOSHI 1887の23時間を快適にするメリノTシャツを買ってくださりましたが、着てみて感想はどうですか?どんな場面で着ているのでしょうか?
(上田)
ここ一番というときに着る勝負Tシャツとして使っています。値段が高いからとかではなく、ものとして上質だと感じるからです。良いものを身につけると、見た目だけでなく、気持ちがしっかりするというか、マインド的にも良い状態でいられると思っています。
(桜)
brightwayのスニーカーに合わせるとなると、高級感のあるメリノTシャツはぴったりですね。良いものを身につけることに関してはどうして意識するようになったのですか?
(上田)
小さい頃から祖父に身だしなみには気を使いなさいと教わっていました。「日常的に細かいところに気を使えるということは、良いものづくりにも繋がる」と。
また、銀座かねまつでも、「値段の高いものじゃなくて良いから、ちゃんとしたものを身に着けなさい」と教えられました。毎日自分の靴を磨き、身だしなみを整えてお客様をお迎えしなさいと。そうすることで、靴を紹介するときの説得力も出ますよね。
上質なものを提供するために、まず私たちが身だしなみを整えることがマナーであることを学びました。
(桜)
素晴らしい教えですね。ところで、先日大阪でMITSUBOSHI 1887の岩田と夜回り(ホームレスの方に弁当を配る活動)をされた際も、メリノTシャツを着てくださったということでしたね。
(上田)
はい、すごく蒸し暑い日だったのですが快適でした。汗はかいているんだと思うけど、ベタつきを感じず不快に感じなかったですね。
(桜)
それは嬉しい感想です。ちなみに、岩田が「上田さんのホームレス状態の方への声のかけ方がすごく優しくてスマート」と感激しておりました!
(上田)
ありがとうございます。いい意味で浪速っぽさがないとよく言われます(笑)
(桜)
MITSUBOSHI 1887 代官山ショールームでのコラボレーションイベントでも、上田さんに接客してもらえるなら緊張せずに楽しめそうですね。
こんな時代だからこそ、原点に戻って誠実なものづくりをしたい。
(上田)
MITSUBOSHI 1887のメリノTシャツを着てみて、だれもがストレスを感じているこんな時代だからこそ、誠実なものづくりは人を輝かせる力があるなと感じました。
私も、改めて原点に戻って誠実なものづくりをしたいと考えています。本質的に品質が良いものを、長く愛用してもらいたいと作りあげたbrightwayのスニーカーが、使い手を輝かせることができたら嬉しいと思っています。MITSUBOSHI 1887と共感するのはこういう価値観です。
(桜)
上田さん、本日はメリノTシャツだけでなく、アトツギの想いをお聞かせいただき、本当にありがとうございました。
★★★
身だしなみの大切さを今までの経験を通して考える上田さんが「勝負Tシャツ」として着てくださっているメリノTシャツ。良いものを身につけると、見た目だけでなくマインド的にも良い状態でいられると勝負Tシャツである理由を教えてくれました。
上田さんが着ているメリノTシャツについては下記ボタンからご覧いただけます。